万有引力 第4回公演 ワークショップ 冬の時限装置 (1984)
1984年12月8日~12月24日 第4回公演
ワークショップ
冬の時限装置
会場
池袋文芸坐ル・ピリエ
作・演出
J・A・シーザー 根本豊 山崎信介
↓↓演劇実験室◎万有引力新聞【1】85年4月10日発行より↓↓
一九八四年十二月八日~二十四日午後八時四十分、魔都東京の家々から、 次代への警鐘を告げる時限装置の警報ベルは鳴り響いたか? 或る日或る時の自分と、或る日ある時から十秒過ぎの自分は、果たして同じ自分であり同じ他人なのだろうか、 お馴染みボルヘスの「フネスの犬」のような素朴な疑問からこのワークショップの作業は始まった。 観客と企だてる側とのその時間の観念の共有は可能なのだろうか。我々はまずポスター、チケットに 「劇場にお出かけの際には自宅の目覚まし時計を午後八時四十分にセットして下さい」と書かれた一つの言葉の 投げかけから、このワークショップ作りに突入した。演劇を流れる時間、たゆまない日常を逞まざる力で流れる劇場の 外の永遠の果てしない時間。この二つの時間の相克を、まず我々はもみほぐそうと試みた。上演中の正確な 全国標準時を常に客に意識させること。それと過去、未来にあらゆる時間を各シーンでクロスオーバーさせること。 そしてラストの台詞「午後八時四十〇分の時限装置、明日の死体!」の言葉と共に突如鳴り響く全国標準時 八時四〇分丁度の終演ベルと観客の自宅の目覚まし時計との不協和音が次代への時限装置の開演ベル、 警報ベルとして東京中に鳴り渡る事を目論ではみたが、そういった企てを考える私のもう一方の頭のすみでは、 昔見た「二〇〇一年宇宙の旅」で、木星の周囲を未だに回り続ける黒い石板、モノリスのごとき、時の深淵を、 この「ワークショップ」で垣間見たような気もしている。これは、我々にとってのワークショップでもあったのだ。 読売新聞12月27日付夕刊、北川登園氏の劇評、「万有引力が上演した『ワークショップ』はまさしく故寺山修司 のある側面を継承した舞台であった。それは言葉であり、非常識的な肉体が生み出す視覚的な構成である。 過去、現在、未来などあらゆる時間が、夢と現実の中でシュールに展開する。 冷蔵庫に過去の思い出を冷凍にする男など十三ばかりのシーンが、午後八時四十分という 終演時間に向けて積み重ねられる。だが時間の中の記憶は人さまざまである。優れて批判的な作品である。」