万有引力 第7回公演 アウト・オブ・マン -外套の異邦人ー (1985)
1985年12月19日~12月25日 第7回公演
アウト・オブ・マン
-外套の異邦人-
躰を置き去りにして、あんた、21世紀に行ってしまうんだね。
会場
森下ベニサン・ピット
スタッフ
作・演出・音楽
J・A・シーザー
共同台本
根本豊
美術
山岸学雄
音響
落合敏行
照明
丸山邦彦
美粧・衣裳
上海綾子 ナカタケイコ
演出助手
根本豊 山崎信介
舞台監督
山代哲 他
制作
山崎信介 松田将希
音響助手
清原昭彦
照明助手
佐藤啓
舞監助手
加藤隆 曽根雄次
制作助手
出口容子 南雲こずえ
宣伝美術
佐藤啓 山岸学雄
出演
サルバドール・タリ 根本豊 矢口桃 水岡彰宏 牧野公昭 高田恵篤 中村亮 海津義孝 松丸純子 桐野裕子
ナカタケイコ 袴田貴子 中山信弘 須崎晃 他万有引力総出演
↓↓演劇実験室◎万有引力新聞【2】1986年3月20日発行より↓↓
〈現代思想〉と〈詩〉を架橋しようとする万有引力の手法・演劇の極北を体験したい人々は、 そこにめまいのする快感を覚えるだろう◎ 万有引力は〈現代思想〉と〈詩〉を架橋しようとしているように思える。後期天井桟敷の理念を引き継いだこの劇団は、 シュルレアリズムを、哲学によって考察しようと試みているのである。しかし、哲学を想念としてではなく、 肉体によって表現しようとするので、ニューアカデミズムとは無縁である。「砂漠の動物園」が内部を検証しようと したものであるとすれば、「アウト・オブ・マン」は、外側の世界と出会うこととは何かを問うものである。 「都市が建築家の彫刻であるならば、人間は風景に創られた自動人形である。」と、J・A・シーザーは書いている。 〈現代思想〉と〈詩〉は、演劇空間の中では、シーザーの音楽によって架橋される。俳優の語る言葉は、そこでは、 哲学的すぎるが、暗黒の中で、電気火花が散る時、観客は、一瞬の〈詩〉を感じるのである。 そして、シーザーの音楽の中で俳優たちが舞う時、哲学は肉体によって、ドラマツルギーに変化する。 いうまでもなく、万有引力から排除されているのは、〈物語〉である。多分、このことが、万有引力の 特徴である。この劇団から、〈物語〉を感じるためには、シーザーの旋律を聴くしかないだろう。 しかし、シーザーは、それを時としてリズムによって裏切る。この時、観客は抒事詩も、抒情詩も捨て去る、 自動筆記を体験するという仕組みである。こうした手法は、かなり高度なものらしく、お芝居を見たい人は 置き去りにされる。つまり万有引力は、お芝居から演劇に変転してしまった現代演劇の極北を めざそうとしているわけである。それは、お芝居を望む観客から見れば、哲学と肉体と、音楽の不協和音の ように見えるかもしれない。だが現代演劇の極北を体験したい観客は、めまいを快感するというわけである。 「砂漠の動物園」も、「アウト・オブ・マン」もその手法は同じであった。もし、そこに差を見るなら、 前者は、関係論で、後者は存在論であったということである。望むべきことは、 もっと抒情をということになるだろう。
高取英